ボート部の思い出:市河 英彦(中29回)
(本文は、1988年6月の総会時に発行された「東京香陵同窓会20周年記念会報」に掲載されていた市河英彦氏の文章を転載させていただきました。)
昭和七年「全国中等短艇競漕」決勝戦が隅田川で行われ、一位東北中学、二位沼津中学、三位小樽中学の順位であった。それまで伝統的に強かった小樽中学に勝ったことがせめてもの慰めであった。艇はフィックス、部長は唐沢先生、クルーは舵手服部、整調鈴木(大林改)五番齋木、四番坂野、三番青木、二番市河、一番有ヶ谷である。
毎日放課後の練習がバック台で終わるのは、狩野川辺に夕日の影が落ちる頃であった。
夏の全国レースが迫る頃は、炎天下、先輩がボートの前後に同乗して、バケツで水を漕ぎ手にかぶせて激励する。一コースを漕ぎ終えるや川の水で顔を洗うふりして思わず掬って飲むほどに喉がカラカラになる。艇を横付けするや、中野酒店の冷たい水を一気に口に流し込んだあのうまさは忘れられない。
校内大会でフィナーレを飾ったのは、全国レース出場クルーと沼津魚河岸クルーとの決戦であった。スタートは永代橋近くの魚河岸市場近く、ゴールは御成橋上流の浮影樓前まで。川岸の全校生徒の声援に対するに、魚河岸応援団は漁船を仕立てて、のぼり鐘太鼓で相競う二隻のあとを追うように白波立ててはやしたてる。ゴールに入って相手の顔を見ると、こちらより相当兄貴分であるのに驚く。沼津の町の名物の催しの一つであった。
大瀬,三津と内海近くの遠漕を経た後、清水港への大遠漕は富士も見える晴れた日を選んで波静かな海に明け方早く漕ぎ出し、川口より途中富士川沖の近くで、1回小休止する以外はノンストップ。午後清水港内に入り川をさかのぼって艇を止めることになっていた。
(中略)
私にとってボートとは、昭和七年初めてオールを握ってから現在までの五十数年間私の心身に一本筋として貫く何ものかであり、またロマンの源でもある。
ボートの言葉に「一身一艇、一心一艇」とあるがチームワークと個人の関わり合いがボート程試されるスポーツは少ないと思う。今もなお、時に無我夢中で漕いだオールの先端の水の泡の音が耳の底に残っている気がする。
永き伝統にかがやきつゞく東高クルーの栄光を陰ながら心から祈ってやまない。
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